■東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。
■独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨単位はチャット。
■人口は 5,142万人(2014年)、首都は2006年まではヤンゴン、現在はネピドー。
■多民族国家で人口の約7割をビルマ族が占め、公用語はミャンマー(ビルマ)語。
■他にカレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、コーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い。
面積 68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)の広さをもち、人口約5,000万人の国です。気候は熱帯から亜熱帯に属し、南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接しています。ミャンマー人には熱心な仏教徒が多く、手先が器用で真面目であり日本人に似ているところが多いと言われています。
旧イギリス領であった歴史背景があることと、大学のテキストは英語で行われていることからも、英語が堪能な人材が多いのが特徴です。親日、労働価値観の類似、語学力が高い、などの点から日本人のビジネスパートナーとしても適しており、かつ人件費が日本よりも圧倒的に安く、他国とは比較にならないコストパフォーマンスを持っています。130にも及ぶ民族を有する多民族国家のため、国境付近では今でも時おりミャンマー政府や民族間の争いが起こりますが、外国人である私達が訪れることができる地域での治安の良さは大変いいと言っていいでしょう。
気候は3~4月は一年で最も暑い季節となります。4月中旬の「ティンジャン」と呼ばれるミャンマーのお正月には、タイと同じように“水掛け祭り”が行われます。5~10月が雨季にあたり、ヤンゴンなどでは雨の日が続くのが特徴です。ミャンマー渡航のベストシーズンは比較的気温の低い11月から3月にかけてで、ヤンゴンを中心に旅行をされる方には、この時期の渡航をお薦めします。
おさえておきたいミャンマーの歴史の要点
独立運動
第一次世界大戦中にビルマ人の独立運動が起こりますが、1931年に鎮圧されます。1942年日本の後押しなどがあり、アウンサン将軍(アウンサン・スーチーの父)がビルマ独立義勇軍を組織し、イギリス軍を駆逐して独立します。しかし、日本の敗戦で連合軍がビルマを奪還すると、イギリスは独立を許さず再びイギリス領となります。
独立
ビルマ連邦共和国として1948年に独立しますが、直前の1947年7月にアウンサン将軍は暗殺され、ビルマ国内は隣国の中国や国内のカチン、チン、カレンなどの他民族との対立など、なかなか安定しませんでした。その過程で、軍が力をもちネ・ウィン将軍により軍事政権が誕生します。この政権は強権的な社会主義政策を行いました。この軍事独裁体制は1988年まで続きましたが、ネ・ウィン退陣と民主化を求める大衆運動が高揚し、同将軍は7月に退陣します。
民 主 化
同年9月18日にクーデターが起こり、民主化指導者アウンサンスーチーらが国民民主連盟(NLD)を結党し、1990年5月の総選挙でNLDと民族政党が圧勝します。しかし、軍はこの選挙結果を認めず、アウンサンスーチーは選挙前に自宅軟禁されます。この軍事政権に対して、米国や西側諸国は経済制裁を行い、2011年3月、約50年間続いた軍政に終わりを告げ、民政移管を果たしました。
首都移転
2005年11月、政府機関がヤンゴンから中部ピンマナ近郊の行政首都への移転を開始し、2006年10月10日に正式に行政首都ネーピードーへの遷都を公表しています。
ミャンマーにおけるトレジャーコンテンツの強み
ミャンマーへの進出支援を行っている企業は他にも存在しますが、弊社の特徴としては関連企業として2016年にミャンマーに会社を設立しております。また、提携企業、グループ企業は先駆けて2012年に参入し事業展開行い現在に至ります。その独自のネットワークは政治家から財閥関係社長、企業オーナー、その他企業経営者まで幅広く確立しております(具体的なネットワークついてはお問い合わせください)。また、軍事政権時代からミャンマーに在住している日本人スタッフを擁し、日本語の話せるミャンマー人スタッフも常駐しているのでミャンマー事情に精通しております。そのため、現地の案内も可能です。会社の設立、資格申請、現地案内、通訳、翻訳、レンタカー(運転手付き)、ビジネスリサーチなど、ミャンマーでの事業展開に関するサポートを行っています。